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    日本初の実演販売柏屋

    お店の歴史は応仁の乱時に八坂の塔(法観寺五重塔の通称)が火災に遭ったという文献の一部から八坂神社の二軒茶屋の480年の歴史が明らかになりました。
    その長い歴史の中で、何を変えて何を維持して来たのか、長く続く秘訣を伺いました。

    二軒茶屋中村楼は八坂神社の南楼門前に石畳の参道を挟んで腰掛け茶屋として出発したお店です。最初は八坂神社の参拝客のために香煎茶や青菜や大根の葉っぱを乗せた菜飯、時には山桜の実をお茶の中に入れて出していたそうです。

    江戸時代の初期には参拝客のために精進料理、お豆腐を竹串に刺して焼いて出していました。

    江戸時代当時は、豆腐は非常に珍しく豆腐に塗る甘い白味噌だれに山椒の粉を振りかけて売っていました。京都の白味噌は、蒸した大豆に米麹をかけて2週間から20日間熟成させて甘みを出したもので、日持ちはしないが、人気が高くよく売れていました。

    八坂神社は信仰の場でありながら、出店の時は非常に賑わっており娯楽の場でもありました。当時は柏屋という名前で、向かい側の藤屋とともに、二軒茶屋と呼ばれていました。

    たくさんの出店の中で競争するための客引きの一環として台の上にまな板をおいて豆腐きりを実演販売で、味噌田楽豆腐を売ったのが話題になり今日までの名物となったと言われています。

    話題になった理由は、豆腐を切る音がリズムよく響く中、豆腐の珍しさや優しいお味噌の甘み、販売のパフォーマンスで客寄せをしたのが全国的に有名になり、繁盛につながったとしています。

    当時から全国で有名だったため、長崎の出島に出入りしていたオランダの商艦長をはじめとして、全国から買いに来る有名人は多く、江戸の浅草近辺ではお店構えを真似して田楽豆腐を出す店が出るほどだったと言います。喜多川歌麿の版画の中に田楽豆腐が描かれていた(ボストン美術館)くらい全国的な名物だったと言います。

    その後、お客様を楽しませるために、お味噌を裏ごしして滑らかにして塗るようになり、スパイスとして木の芽をお味噌にまぜて入れたり、大根の葉っぱ、青菜をまぜたり粉山椒を入れたりと様々な商品開発をしました。今では、素朴な味であること、健康的、大豆食品であることから見直されつつあります。

    現代に通じるマーケティング戦略

    茶屋が繁盛したのは、田楽豆腐の人気とともに、店の仕切りがなくオープンになっていて、人と人の出会いがあったこと、そこで色々な話題や出来事が話されたこと、豆腐切りのパフォーマンスなど目に見えない付加価値をつけてお客様をもてなした結果であると言います。
    人に押し付けるサービスではなくさりげなく人が求めていることを提供することの積み重ねです。

    お団子を食べる感覚で豆腐田楽を提供し、お酒のおつまみとしても食べられる嗜好品としても重宝されました。そしてパフォーマンスと話題を提供し客を楽しませた結果、全国的に有名になり、今まで続いていると考えられます。

    現代に通じるマーケティング戦略です。当時でも京都は有名な観光地で、八坂神社は全国から人が参拝のために訪れる場所で店構えをし、流行り始めた豆腐を商品とし、注目されるためのパフォーマンスを提供していた。いい商品を作り、気軽に買える値段で、人が必ず訪れる場所でお店構え、パフォーマンスを通じたプロモーションと口コミ効果による宣伝方法これら全て現代と変わらない売れる商品の法則です。

    時代とともに事業形態を見直しながら変化してきた

    江戸の初期から豆腐田楽で有名になり、末期には田楽以外にも色々な関連商品を出すようになり、当時人気のあった歌舞伎から由来すると言われていますが、お店の名前を中村屋に変更し、明治の初期には中村楼に改名、お店を大きくし、料亭としてお店を運営するようになりました。

    時代の大きな流れの中で、一時期外国人に洋食を出す時期も料理と旅館を営んでいた時期もありました。お店の経営を少しでもよくするようにと、始めた料理屋のお弁当は京都における料理屋のお弁当の発祥でした。非常にお弁当が売れた時期がありましたが、弁当屋ではなく料亭としてやって行くため、お弁当をやめたと言います。

    今は初心に戻ってもう一度お茶屋で商売を展開しています。後継者にお店を任せて現代風に若者のニーズを合わせた新しいメニューを開発しながら、サービス向上のために日々努力しているとのことです。

    お店は歴史的、伝統的価値のある建物で、しつらいは和室の部屋にも椅子やテーブルを揃えてお客様のリクエストにも応えています。

    しかし、時代によって色々な業態を試しながらもお茶屋を今でも続けているのは、初心を忘れないためだと言います。

     日々前進するための勉強や研究は欠かせない

    戦後京都の料理業界に人材がいなくて大変だった時に中村楼が中心になって京都料理研究会を立ち上げました。

    そこでは京都の料理人の新しい技術取得、上達、継承のための研究を行っています。その研究会は未だに続いていて京都の料理会の結束を固めてお互いに協力しながら、業界の品質維持にも力を入れているとのことです。常に時代が何を求めているのかを見ておくことも長年続けていける秘訣になります。

    祇園祭りの前に行う神様を迎えるための色々な儀式にも祇園のたくさんのお店が協力しながら八坂神社とともに歩いてきた歴史を大事にしています。

    信念を持ってお店を経営する

    中村楼では、御嶽教の教えを大事にしていてこれも長く続けている秘訣の一つと考えられます。

    その教えでは、ご先祖様を大事に、ひとに迷惑かけるな、怠けないで、商売せよ。正常なこころを持つべし、しんどいけど、全うせよ、人間らしくせよ、笑顔でにこにこ、疑ってはだめ、自分が正しいと思うみちをすすめ、神様にお祈りしながら進む、冷たくしないで、気をつけて、暖かい心で接する気持ちで真心で、許すは許すみち攻めるは攻めるみち、許すこころを持って、感謝をする、奉仕(尽くすこころを養う)勤労:一生懸命働きなさいなどなど、商売の必要な基本的な精神と心構えはここから育てられたと感じます。

    後継者教育、社会貢献と地域の繋がりを大事にする

    後継者である長男には、世間をもっと見ること、この時代において何が求められて流行っているのかよく見ることが大事だと伝えているとのことで。親の背中を見ながら育つこともあるけど、町衆や同じ料理人の仲間からも教わることも多いと言います。

    同じ後継者同士の繋がりを通じて学ぶことも多く、消防団などの活動を通して社会貢献をしたり、地元で愛される存在になること、地域との繋がりを大事にしながら感謝の気持ちを忘れずに商売を続けているとのことです。

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    この記事を書いた人
    京都100年企業
    林 勇作

    1965年8月28日生まれ
    大阪市出身

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