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  • 澤正

    澤正は7年前に京都府から100年企業の認定を受けました。
    100年企業の認定には、100年続いている証拠がいりますが、創業当時新聞記事に載った記録が残っていて認定されることになったと言います。京都の老舗としては、まだ、歴史は浅いですが、3代続いています。

    明治42年に開業するまでは満州でパンやお菓子、お饅頭などを売っていた店で、その後京都にお店を構えて、受注生産による商品作りに展開、だんだん日持ちがよく体にいいそばぼろうに絞ったことで、注目されるようになったといいます。

    第二次世界大戦の中、一番危機だった時代を迎え大変だったのですが、なんとか乗り越えて今に至っているとのことです。エピソードで、終戦間際の厳しい時代に大きな一枚板で作った看板を一度は切ろうとしたのですが、ちょうど終戦を迎えることになり、看板はその傷跡を残しながら今でもお店を見守っていると言います。

    家業を継ぐという運命的な出来事

    3代目は、次男だったことから家業を継ぐ気はなかったと言います。しかし、大学卒業後は会社に勤めていたのですが、長男が抜けることで父親から家業を手伝うことようにと言われて自然の流れで家を継ぐこととなりました。

    まずは、そばぼうろの作り方から学び、新たなお菓子作りに挑戦し、日々そばを使った和菓子作りの研究を続けて3年後には、以前の売上の3倍になりました。

     崖っぷちからの生還は、大切な人との出会いがあったから

    30代で家を継いだ3代目は家業を継いだものの将来への不安はあったと言います。売上は徐々に落ちて行き、お店で働く人が両親と自分自身3人しかいなくなっても何とかお店を守りたい一心で新しい商品開発を始めます。すでにブランド化していたそばぼろうには季節感がなく、京都の四季を感じられるそばの生菓子を作りはじめました。

    当時は相談する相手もなく偶然知り合った大村しげさん(著書には京都町家暮らしなど、エッセイスト)に師匠になってもらい、毎日作っては捨てることを繰り返し、そのなかでOKが出たお菓子だけを商品化して行きます。それが功を奏し、売上は上々に伸びてついには生産量が3倍にまでなったと言います。

    大村しげさんからの大切な言葉は、プロというのは省くことがプロとしての仕事。蕎麦作りにおいても大村先生を納得させるために3年間通いつめて誕生したそばとお菓子を新ブランドとして世間の注目を浴びることになりました。

    雇っていた料理人がやめたことがきっかけで、自分で料理をしようと思い料理人となったと言います。

    たまたま中村勘三郎の歌舞伎をみてお客様の満足度の大切さに気づきました。そのために日本料理の名店に行って京都の味に親しみ、自分の味覚で、これでいいと思ったと言います。その時はっきりと料理人としての道を歩くことを決心し、自信が湧いてきたと言います。

    得意なことで、好きな分野でスペシャリストとして仕事をしたい

    自分らしいとは、自分しかできないことを作ることだと言います。得意な分野を極めて得意なポジションで GOOD JOBを言われる仕事をしたい。

    食べ物に100点満点を目指すことは無理だが、80点を取るつもりで、後はお客様の満足度に任せると考えているとのことです。

    好きな人のために作るお弁当のように

    料理を作る時には、好きな人のために作るお弁当が一番美味しい。お客様に対する姿勢はお客様満足度を上げることがリピーターを増やすコツだと言います。

    料理は勿論満足してもらえることも大事ですが、お客様のお時間とお金を何で交換できるのかと考えた時に、満足度を上げることこそが究極のおもてなしであると考えます。

    好きな人に100%答えたいという気持ちは、変化を恐れず、常に発想の転換と進化しかないのです。

    経営者は選ばれた人、運がいい人。山の頂上にお宝が眠っていると信じられる人である

    経営者には、目的に対して、信じきる力、できるまでやり続ける力が大事だと言います。

    身の程は知らないけど、身の丈は知ること。不安定なジャンプするのではなく、地面に足を付けた動き方が大事です。

    背伸びはするけど、ジャンプはしない。いつかは手に届く位置にまで来ることを信じて背伸びをすること。苦しさを乗り越えたところに仕事への達成感があります。仕事にワクワクがなくなったら、やめたい。緊張感と厳しさがあるからワクワクするし、仕事の達成感につながります。

    そのために、常に自分の仕事を客観的な立場から評価し、向上するための努力をします。一旦社会に出て遠回りしてきたことが今の成長に繋がっています。

    「創造とは、結びつけること」—ジョブス

    USJや宝塚公演には、共通点があり、心強いリピータの存在があったことに気づきます。夕方から入場したUSJのチケットの値段4000円と自分のそばの値段は一緒ですが、何が違うのか。宝塚の舞台をみたお客様の幸せそうな笑顔はどうしたら、作れるのか。お客様との幸せのキャッチボールをしたい。そんなリピータを増やすためには、お値段に見合う物物交換と考えることが大事。蕎麦の価格と満足度の交換がお客様との大切な契約であり、誠実に果たしたい。目

    的にたどり着けるためには方法は色々あっていいけど、何をやっても目的に辿りつけると信じているとのことです。

    阪神の掛布がインタビューの時に行ったのは、自分がなりたいのは、ほかのだれかではなく理想の自分になりたいと言った言葉を思い出します。最大のライバルは理想の自分であります。

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    この記事を書いた人
    京都100年企業
    林 勇作

    1965年8月28日生まれ
    大阪市出身

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