横浜から大阪へ嫁いで今年で10年を迎えました。2008年、28歳で結婚をしたわたしは、憧れの京都で一生の想い出になるモノを絶対に買おうと心に決めておりました。というのも、当時のわたしは魅力的な京都にすっかり、身も心もはまっており(もちろん今でも大好きです)趣味で京都検定2級を取得するほど。「京都」と聞くだけで胸がきゅんとしてしまうのです。京都に関する本や雑誌も購入し、毎日眺めていました。その中で、ひと際輝いてみえたのが「茶筒の開化堂」という老舗のお店。そこは、明治8年創業の日本で一番古い手作りの茶筒専門のお店なのです。
結婚をして横浜から大阪へやってきたわたしは、すぐにひとり京都へ向かいました。今でもその時のことを覚えています。とっても清々しい気持ちでした。結婚をしたこと、大好きな京都の近くに住みいつでも訪れることができることに感動をしていたのです。一番に向かった先はもちろん「開化堂」です。地図を見て向かいました。雑誌で写真を何度も見ていたので、すぐにそこが「開化堂」だとわかったのですが、想像以上にとても小さな佇まいで、扉を開けるのにとても勇気がいりました。
その頃のわたしは、今よりもずっと気が小さく(年齢とともに図々しくなってきたのですが)緊張しやすい性格で、自分なんかがこんな高級なところに買いにきて本当によいのだろうか。ただの冷やかしとして思われて、迷惑になるのではないか。いや、こんな小娘でもちゃんとお金を払って買うんだ。わたしの結婚の記念、一生モノなんだ。と、余裕のなさから、店主とゆっくりお話をすることなく、高級な茶筒を前に「これをください」とすぐに言ってしまいました。本当は、もっとお話をしてみたかったのです。どの商品が使いやすいのか、手入れはどのようにしたらいいのか。ただ、慣れていない空間と自分の気の弱さからあっという間に選んでしまったことが悔やまれます。今だったらいろんな話を聞いてみたいと思うのです。
店主の方はとても優しく、緊張をしているわたしにむかって丁寧に茶筒の種類や「蓋を口に置いていただけますと勝手にすーっと閉まるんですよ」という原理を教えてくださいました。また、わたしが自分の結婚の記念に買いにきたと伝えると、快く茶さじに「優子」と名前を彫ってくださいました。本当にうれしかったのです。夢にまでみた京都で、高価な茶筒を買ったという経験は、忘れることができない甘酸っぱい記憶として残っています。
その時の、恥ずかしさで踏み込んでいくことのできない関東人の娘が、大阪で少しずつ馴染み暮らしていけるようになったのです。10年という月日は少しずつ人を変えていくものですね。
そして、わたしの購入した茶筒は時間とともにどうなったでしょうか。使い込んでいくたびに独特の色合いを出しそのうつり変わりを楽しむことのできると言われる茶筒。当時のわたしはひと際輝く「真鍮」を選びました。その輝きは今でも・・・正直に申し上げますと、現在は使っていません。
不器用なわたしはきれいな状態で使いこむことができず、ところどころに水で濡らしできた染みのようなものがついてしまいました。また、ずぼらな性格なゆえ、お茶の葉ではなく、ティーパックを利用するようになったというのも大きな理由ですが。
現在は我が家に飾っています。今、このパソコンを書きながらも手に届く位置に置いてますので、改めてまじまじと手に取りました。あの時、緊張をして購入した自分が遠い昔のように感じます。それからずいぶんと時間は流れて行きました。この茶筒もいつの間にか渋い色へと変化をして行きましたが、同じ時間わたし自身も今の暮らしに馴染み変化をしてきたのだなと思うと、たまらなく愛しくなります。