40歳の専業主婦です。
学生時代は京都に通学し、特に市内はよく歩き回っていたつもりでいましたが、そのお店「十三や」のことは長年知らずにいました。
それは2016年の冬でした。
当時お付き合いしていた現在の夫ですが、唐突に私を京都につれていきました。
「櫛を買うから」事態もよく飲み込めないまま、私はついていきました。
そういえば出会った頃、夫は「お前につげの櫛を買ってあげたい」と言っていました。
当時30代後半にもなって、100円ショップで買ったプラスチックのヘアブラシを使っていた私。
私は「いやいや、つげ櫛って本物はめっちゃ高いんよ?髪なんてどうせ切って捨てるもんやし!」と、おばちゃん丸出しで返事しました。
でも、少し心はチクッとしたのです。
100円ショップのブラシの何が悪いん?必死で生活するために、切り詰めている私。当時、自分一人で子どもを育てていました。
見えない将来。つげ櫛なんていらない。現金がいるの。生きていくために、子どもを育てるためには、現金がいるのよ。
気楽な独身男性に何が分かるの。髪の毛なんて、所詮切って捨てるもんなんよ!
そして同時に分かってもいました。この人は悪くない、悪いのは全部、勝手に離婚した私。この人はただの、親切な通りすがり。
当時お互いの気持ちは、全く理解できていませんでした。
ただ、夫は出会った頃から、私の子どもとよく遊び、子どものおもちゃと、食べ物を買ってきました。
夫は穴の空いたボロボロの靴下を履いていました。つげ櫛を買ってあげたいなんて言いながら、自分は2着しかないユニクロのTシャツを何年も着ていました。
コツコツ貯金をするタイプでした。地道に貯めたお金なのに、私の子どもの計算ドリルや文房具は、いつも良いものを買って持たせました。
少しずつ距離も縮まった頃、その日の朝、唐突に夫が私と子どもをつれて、「十三や」に向かいました。
昔はよく通った京都河原町の街に、ひっそりと小さなお店。明治8年創業の、京都伝統工芸つげ櫛専門店でした。私も店内に入るのは初めてでした。
沢山のつげ櫛。夫が不意にお店の方に口を開きました。
「この髪に合うつげ櫛をください」
この髪に合う???私は、キョトンとしていました。櫛に種類なんてあるの?するとお店の方が、丁寧に幾つかのつげ櫛を選んで下さいました。
髪質や、手の大きさ、持ち心地、パーマを当てる予定の有無等・・・私にぴったりのつげ櫛と、櫛のケースと、お手入れの椿油。
つげ櫛の使い方やお手入れまで、丁寧に教えてくださいました。
不意に心に、以前、私が吐き捨てるように言った言葉が浮かんできました。
「髪なんてどうせ切って捨てるもんやし!」
自分で自分の言葉が刺さりました。そんな私なのに、お店の人は丁寧に、私を大切にもてなして下さいました。
「切って捨てるもの」と思っていた自分自身を、こんなにあたたかく迎え入れてくれる場所。
帰りの車で、ボロボロ泣きました。自宅に戻ると、綺麗な包み紙の中にある言葉を見つけました。
古来、男性が女性につげ櫛を贈るということ・・・ようやく、私は意味を理解しました。
出会った頃から、夫はもう責任感をもって私たちに母子に関わってきたこと。最初から覚悟を決めてきたこと。
そんなことも分からず、100円のブラシの何が悪いのよ!と心でふてくされていた私・・・
子どもの春休みに合わせて、入籍しました。
遠方にある夫の地元に嫁ぐ私は、この土地でやり残したことはないかと、毎日がお世話になった方への挨拶回りに追われました。
全てが片付き、最後に、一人で「十三や」を訪れました。大切な場所。小さなつげ櫛のストラップを二つ頂きました。これを選ぶのに30分。
沢山の小物から、一緒に選んでくださったお店の方のあたたかさ、大切な想い出です。
学生時代、そこは「観光の街」「遊べる街」「お洒落な街」楽しく騒げる街だと思っていました。
それが今の私にとっては、長い歴史を守り続けた人のあたたかさ、おもてなしの深みある街です。
優しさを分けて頂いて、今度は自分自身が家族をあたたかくもてなしていけるようにと、いつも感謝の気持ちで想いだします。