当時私は30歳でした。2000年頃、学生時代からの友達と女2人で京都を観光に訪れました。
私たちは旅行が好きで日本のあちこちへ行きました。特に京都はお気に入りで何度も訪れています。
学生時代、家政科で学んでいた私たちは和食や懐石料理にも関心を持っていました。
本格的な懐石料理は金額も高いし敷居が高いですが、懐石ランチなら金額も手頃で入りやすいので、懐石ランチのお店をいくつかまわっていました。
この日もガイドブックで見つけた懐石ランチのお店に伺うことにしました。
予約は要らないとのことでした。当日急用の出来てしまった友人と別行動して、私一人で伺いました。
店構えは由緒ある老舗の料亭なので威圧感があります。入口のところに高齢の女性が座っていて案内しています。
私はお店やそのおばあさまの雰囲気に圧倒されながら、「ひとりですけど、入れますか?」と聞きました。
すると「ひとりだと問題があるん?ないやろ?かまへん。」と言われました。
そういう意味で聞いたのではないんですけど。なんだかあげ足を取られた気分になりました。
私が部屋に入った後も「なんでひとりでもいいかって聞くんやろ?おかしいやん」と言っているのが聞こえました。
すぐに懐石ランチが運ばれてきました。美しい器に料理を盛り付けてあって、
目にも美しいし、味もうす味で上品な味です。京都らしいなと思いました。
食べ終わって満足して、トイレを借りようと思いました。
トイレも古いままで、薄暗く、穴があるくらいの設備です。
ここまで古いと情緒があるとか、古式ゆかしいとかを通り過ぎてしまって、古すぎて怖いです。きっと子供や高齢者は使えないと思います。
席に戻るとテーブルの上は既に片付けられてしまっていて、持ち帰ろうと思っていたメニューも捨てられていました。
とても残念に思いました。トイレに立っていた時間くらい待って、客が玄関から出てからテーブルを片付けても良いのではないでしょうか。
店内は広く、特に混みあっていたわけでもないからです。
そう思って店内を見ると、部屋は広いだけで、なんの装飾もなく殺風景です。
料亭と言うより、どこかの集会所や公民館のようです。
お庭が見えますが、手入れが行き届ているとは思えません。
お料理のクオリティとちぐはぐな印象を持ちました。
つまりは、おもてなしの気持ちが感じられなかったからだと思います。
おもてなしの心があれば、丁寧に掃除もしますし、お花の一輪でも生けますね。
普通の家庭でも行っていることだと思います。お金をかけるのではなく、気配り心配りを「おもてなし」というのではないでしょうか。
そう考えると入口のところの女性の言葉も理解できますね。
「ひとりでも金払えるんでしょ?」って意味ですね。
ちょっとした心遣いを感じられるのが旅行の醍醐味だと思っていましたが、残念でなりません。
懐石ランチの味をおいしいと感じた私が間違っていたような気さえしてきました。
実は大量生産の作り置きで、繊細さゆえのうす味ではなく、採算重視のうす味ではないのかと。
私の大事にしている料理をうまく使われたようで、嫌な気分になりました。
金儲けをしたいなら、京都や料理を”出汁”に使わないで欲しいと思いました。
老舗になって特に努力や工夫をしなくてもお客さんは来るので、
お客さんに対する心遣いは要らないと考えているのでしょう。
老舗ってなんだろう。伝統って何だろうと考えされられた一日になってしまいました。
友人と一緒じゃなくて良かったとさえ思いました。
ガイドブックの情報では分からないこともありますね。
次は大きくなくても老舗でなくてもいいので、「おもてなし」の心が伝わるお店に行きたいと思います。
お客さんに向かって、「いらっしゃいませ」も言わないで、「なんでひとりでかまへんかって聞くんや?」なんて言うお店には行こうと思いません。そばも通りたくありません。
お客様目線でお部屋を整えて、迎えて下さるお店に行きたいです。