京都の町家によく似たこの建物の作りは少なからず日本がベトナムに影響を与えています。このホイアン自体日本橋というところが名所になって(渡るのにチケット必要)ます。遡りますと江戸時代に日本人がこの場所に訪れ、どのような経緯かわかりませんが、その当時のホイアンを治めていた王の娘と結婚したそうです。そして日本が鎖国となったことから、一度日本に連れてきますが、最終的に夫と一緒にこの地に戻り暮らしたそうです。その当時の船のほぼ同サイズの模型が展示されてました。
そうしたこともあり、太平洋戦争前の日本のアジア占領の時期も日本軍が他の国と同じように、占領とはいうものの、インフラ整備をし、地元の住民から慕われていたようです。
その中に京都の宮大工もいたのかもしれません。町家と同じ様式の家屋がかなり残ってます。
ここで夜が見どころという訳を明かします。
ホイアンは街中がランタンの光で満たされ、とても幻想的な街で有名なのです。
夜も更けて、ランタンに火が灯り、ガイドブックで見たままのホイアンの街が一望できました。観光客はますます増えて、まるでフェスティバル状態、後から聞くと毎日、平日、休日問わずこのような状態だそうです。
ほぼ街も見尽くして、土産も結構買えたので、帰ろうとして、タクシーを探していると、いかにも客引きという若いドライバーがいきなり話しかけてきました。
まあここはポケトークの力を借りて、交渉してみようと思い、話し始めました。
最初彼は私のホテルを確認し、そこまでなら、58万ドン(10万ドンが500円なので、3000円弱)が普通のタクシーメーターだとアプリを見せてました。
事前にホテルで相場は35万ドン(1700円くらい)と聞いていたので、おもむろに30万ドンはどうかと聞きました。
相手もきついところを聞くなと思ったのでしょう。すぐに相場の35万ドンを提示してきました。それでOKしても良かったのですが、それではポケトークに悪い?と思い、もう少し粘りました。
結局32.5万ドンで決着しました。
しかしこの後お話する彼との帰りの車中での話を聞くと値切らなければと思いましたよ。本当に。ベトナムの社会インフラは目に見えないところでまだまだ旧態以前なのですね。
とりあえず、この条件で車に乗り込みました。
ベトナム人のジレンマが耳に残りました。
彼の家は昔からまともな仕事に就けない家庭で、勉強で頑張っても、家柄により就きたい仕事に就けないのだといいます。
これは昔からの慣習で、どうしようもないのだといいます。
でも奥さんと子供の写真をスマホで見せてもらい、これからが大変な時なのに、タクシーの運転手では、生計を立てていくのも大変だろうなと感じました。
さっき値切ったことが少し悔やまれました。(後で少しだけチップで補填しておきました)
しかし嘆いていても仕方ありません。
中国もインドもそのような差別はあったのですか、中国は都市部においては完全に克服しているように思います。田舎の方はいざしらず。
だから、黙っておらず、貴方のような若い人から、言葉に発していき、変えようもしなければ、何も変わりませんよ。と励ましていました。
3日目①へ続く
1965年8月28日生まれ
大阪市出身
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