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  • 株式会社本田味噌本店

    洛中と呼ばれる京都のど真ん中、それも京都御所のすぐ隣に本社と店舗を構えられている株式会社本田味噌本店様へ訪問した。そのロケーションからも容易に想像できるように、江戸の末期までは禁裏御所のためだけに味噌を提供されており、明治になって、一般への販売が解禁されてからも、今なお宮内庁御用達として天皇家とのお付き合いは続いている。

    そんな伝統と格式を維持しつつ、現代に合わせて変革を遂げながら今に至っているというお話を聞かせていただいた。 いくつもの示唆に富んだお話をいただいたが、当研究会で提案している企業継続のための 3 つの仮説の実証・検証としてまさにあてはまる事例を中心に取り上げてみたい。

    Ⅰ.変えるべきものと残すべきものを明確に区分する

    1.京都の暖簾商法の企業とスーパー向けの拡大指向の企業を分社化し、コンセプトとターゲットを明確に区分し、それぞれに対応した営業戦略を取った。

    ①もともと最高級品のお味噌を提供し続けてきた当店は、今までのお客様、本物志向のお客様、とお客様の顔の見える商売をやっていかねばならない。そうすることで、なくなることはない味噌ではあるが、需要の低下は減少する現状の中、最後の 1 社に残る企業になるのだという社長の言葉に 181 年という歴史を守ってきた意気込みを感じた。

    ②親子代々本田家が継承してきた中で、古い体質の当社を変えなければならないという思いは強くあった。公設市場という得意先にもこれから 10 年 20 年のスパンで当社の将来像を見た時、これは無くなっていく業態である。これからは欧米のマーケティング理論を駆使し、顧客目線の営業戦略を取っているイオンやイトーヨーカ堂などのGMS、地域一番店を目指す中小スーパーを顧客としていくことが必須であると感じていた。

    そこでスーパー等への卸専門の会社を分社化し、本社とは違った顔の業態を創設した。こちらは拡大指向、どんどんいいものを広く一般の方々、更に海外 中国まで市場を拡げる戦略を取った。

    ③ファミリー企業の形態が老舗を作る。

    今、社長は改めて実感されていることは、老舗を継続させるために最も適する企業形態はファミリー企業であるという。それは長年語り継がれてきた当社の家訓を次期後継者である長男に商住一致により幼少のころから教育出来るからだ。また存続の上で経済的な危機に瀕した時、創業家の個人資産を拠出することで難を逃れ、また続けていけるということだ。

    しかし、分社化の決断、取引先の見直しなど経営方針を変えていくことの最大の障壁は商品、従業員や取引先ではなく、先代社長であったと社長は言う。これまでのやり方を最善としてきた先代にとって、ここでの大きな方針転換には想像を絶する抵抗があったように推測する。しかし今変えなければ企業の存続という最も大事な老舗のポリシーに反するという思いで、論理的思考、説得するための手法を考えに考えて先代を口説き落とした。当時は大変つらい思いもしたが、今ではこれが社長としての役割を全うすることに大変役立っているという。従業員であれ、取引先であれ、強制ではなく、きちんと納得し、行動に移してもらうためには、こうした思考は必須であるということだ。

    2.市内にあった味噌製造工場を綾部市に移転し、独自の最新鋭技術を駆使した大規模工場「丹波醸房工場」を創設した。

    その工場の設備をビデオで見させていただいた。人影は少なくとても大きな機械がコンピューター制御によって正確に稼働していた。何気なく見える一つ一つの動きにも特許技術や緻密な工夫が凝らされていた。今まで職人さんの智恵と経験によりなされた技が、科学的に継承されているかに見えた。しかし社長は次のように話された。

    今までの職人の手作業による工程をじっくりと検証すると、実にものの移動運搬の部分が70%あり、本当に職人の技術を要するところは意外と少ない。そこで運搬は機械に任せ、人しかできないことと職人がするようにした。そうすることで機械の運用管理部分に数名の人材を投入し、あとは最終成果物のチェックに職人を割り当てた。

    パネラーと呼ばれる9人の職人(この最高責任者は社長である)が出来上がった味噌の品質について五感を使い確認している。科学的な分析による数値はあくまで参考であり、最後は人だと社長は言い切る。 その結果、営業、研究開発、総務企画などの間接部門に人材を投入することが可能となり、販売面での強化も図れることとなった。

    Ⅱ.将来のビジョンを示し、その達成のために必要な人財をトップ自ら育てる

    1.経営者の仕事とは哲学を持つこと

    自分の場合『品質第一主義』である。これを従業員に徹底して教え込む。
    この品質とはもちろん製品に対することもある。しかし工場の現場の者だけに言っているのではない。品質には様々なものにある。全ての品質をあげてこそ会社の価値を高め、売上にもつながるものである。

    例えば、電話の受け方:営業はお客様のところへ行けても 20 件程度がせいぜいである。しかし内勤の者が取る電話は日に 40 本以上である。それだけに電話応対に品質が伴っていないとお客様を失い、売上への影響も非常に大きい。
    伝票の書き方、運搬用の車の運転の仕方、掃除の仕方それぞれに品質がある。
    このことは人事面でも大変有効な施策であると考える。

    一般に売上は営業が作り、直接会社を支えているのは営業だという思いを持つ経営者や従業員をよく聞く。しかし会社は間接部門の方々の縁の下の力がなければ成り立たない。

    そんな中で、全ての業務に品質があり、それが企業を支えていると経営者自ら考える会社は従業員のモチベーションを高め、一体感を強め、組織としての企業活動が生まれる。
    このような会社は強い。

    2.商売におけるポリシーが3つある。

    ①次につなぐ

    駅伝ランナーのように次にタスキを渡すことが最重要。業績をあげて 50%成功、次に継続して 50%成功と考えよ。

    ②つなぐために攻める

    守っているだけで勝てる戦はこれまで聞いたことがない。攻めてこそ守れるし、次につなげる。

    なぜなら守りは注意を周囲 360 度、24 時間、365 日配っていなければならない。しかし攻めは自身の得意なところ一点集中することができるから。

    ③良いとき驕らず、あかんときに腐らず

    商売には良いときもあれば悪いときも必ずある。良いときに更に気を引き締め、悪いときに次の良いときを待って決してあきらめないことが肝心である。 本田社長は常々このような哲学、ポリシーを従業員に伝え、浸透させるよう努力している。

    その例として新入社員には 2 日間社長自ら当社の理念をしっかり伝えられる。
    年に 4 回の個別面談を実施し、そのうち 1 回は社長自ら行われるという。更に社長との直接コミュニケーションを図る場として、誕生日会を毎月開き、その月の該当者は社長と共に昼食を取る。

    その中で社長の想いが浸透しているか、確認されている。社長は一人一人に期待していることを伝え、そのために努力している人を人事考課で評価することとしている。まさに将来ビジョンを示し、そのために必要な人財をトップ自ら育成していると言えよう。

    3.人財育成のための外部セミナー

    人財育成には予算化し、計画的に投資している。外部セミナーや通信教育など、本人の希望に応じてセミナーを受けさせる。受講後、社内にてその内容について、受講者が講師となってフィードバック研修をさせる。

    そのことによりセミナー受講の意欲を高め、自ら講師を務めることでより深くセミナー内容を理解することができる。他の従業員にもコストをかけず良い情報を得るという効果もある。内容はスキルを学ぶセミナーもあれば、中間管理職には経営の考え方を学ぶセミナーも受けさせている。

    Ⅲ.売り手よし、買い手よし、世間もっとよし

    当社の経営目標は「皆が幸せになる経営」である。

    ①従業員が幸せになる
    高い品質の商品をお届けすることで、従業員に働きがいを感じてもらい、社会に対する貢献も感じてもらえる。従業員への教育を経て自ら向上しているという実感を得てもらう。従業員が幸せに働ける職場作りが当社の企業価値作りの原動力となる。

    ②取引先を幸せに
    お互い社会ルールには厳格に付き合うことで、信頼関係を築き、安心できる取引先となる。そんな取引先とお付き合いすることで、win-win の幸せな関係になれる。

    ③お客さまも幸せに
    当社の味噌を買っていただいた主婦が、食卓で家族から今日のお味噌汁美味しいねと言ってもらえる風景を思い浮かべる。お母さんも幸せに、家族も幸せに、それを聞いた当社の商品を扱うお取引様も幸せになるような商品作りを心掛けたい。 社長は言われた。

    世界の飢餓はすぐにはどうしようもないが、自分ができることをしていきたい。
    会社の業績を上げ、国や地方にしっかりと税金を支払うことも当社の役目である。
    人づくりも社会貢献につながる。
    スポーツにも支援をする。
    トライアスロンの選手にスポンサーとなって支援する。
    中国に工場を出し、グローバルな雇用創出にも貢献する。

    以上社長の講演から、また質疑応答の中からの気付きをまとめさせていただいた。

    参加者の方からの言葉で、印象的なものをいくつか取り上げる。
    ・品質第一は自分もそう思う。一人一人が持つマインドをその一点に統一させること。
    特に他職種の人材へマインドを伝えていくことが難しいが、その方法が分かった。
    ・美味しい味噌は他でも作っている。しかしなぜそれを作っているかとなれば、哲学を持つことが必要であり、それが生き残る術である。更に一人ひとりがその哲学を共有すればそこにブランドが生まれるということを教えていただいた。
    ・不易流行の不易と流行は別のものと思っていたが、土台は一緒ではないか。本田味噌と西京味噌が本質的なところで一致していた。大変興味深い。

    以上

     

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    この記事を書いた人
    京都100年企業
    林 勇作

    1965年8月28日生まれ
    大阪市出身

    今後の日本の中小企業の手本となる魅力ある強い企業体の創出に最大限の力を注ぎます。会員様と共に永続的な成長と発展を図り、会員様と共に幸せな人生を実現します。

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