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    1.大下倉 和彦社長のセミナーレジュメより

    ■ 大下倉家の沿革

    ・ 1750 年頃(安永年間)「酒屋」の屋号を持つ造り酒屋となる(初代~4代目五右衛門)
    ・ 1887 年(明治 20 年)2 年続きの暖冬により酒が腐敗し廃業に追い込まれる(5 代目)
    ・ 1897 年(明治 30 年)約 10 年間事業の巻き返しのため大阪にて情報収集したのち丹後へ再び戻り製糸事業(絹糸製造)を立ち上げる(5 代目)
    ・ 1938 年(昭和 13 年)第 2 次大戦前、絹糸が国家の統制化に於かれてからは織物事業に一本化(6 代目)
    ・ 1958 年(昭和 33 年)第 2 次大戦後の混乱期に 7 代目が急逝し事業継続の危機。17歳にて 8 代目が引き継ぐ
    ・ 1960~1970 年の高度成長期の波に乗り事業の安定期を迎える
    ・ 1989 年(平成元年)後継者、繊維産業の将来を見越し原材料としての織物製造だけでなく、より完成品に近いものを手がけるべく染色事業への参入(8 代目)
    ・ 1999 年(平成 11 年)染色事業部を分社化
    ・ 2005 年(平成 17 年)染色事業の事実上の破綻
    ・ 2006 年(平成 18 年)織物事業の廃業。大下倉家としての最大の危機の訪れ
    ・ 2008 年(平成 20 年)㈱高蔵を立ち上げる。家内操業として再スタート(9 代目)

    ■ 染色事業の道のり

    ~繊維業界の先行きを見越した画期的な事業としてスタート~
    ・試練①・・・技術の習得
    ・試練②・・・コスト競争の時代に突入
    ・試練③・・・オリジナルの独自技術の開発、ニッチ市場の開拓
    ・試練④・・・流行を追い求めるファッション業界の不安定さに苦慮
    ・試練⑤・・・自己発信型スタイルの必要性
    ・試練⑥・・・資金難にて経営破綻

    ■ 経営破綻後、新会社立ち上げまでの道のり

    ・ 債権者への対応
    ・ 進む後処理(差押さえ→裁判→競売)
    蔵の中から見つかった先祖の肖像画のエピソード
    再起を促す協力者の出現
    ・ 設備無し、腕一本でできる仕事の模索
    ・ 鉄くず売り、縁日で出店
    飛び込み営業で小売店とのコラボレーション
    奇跡的にニューヨークインターナショナルギフトフェアへ出展できる
    ・ 家内操業の新会社設立(株式会社 髙蔵)

    ■「高蔵染」の今

    ・ 東麻布ギャラリー&レストラン「ピノチカ」での展覧会開催
    世界ブランド「ナイキ」とのコラボレーション T シャツ制作
    毎月定例の町家イベント「あじき路地」、クラブメトロのイベントに出店
    小売店、ファッションブランドとのコラボレーショングッズ(T シャツ、ストール、手拭いなど)制作
    レコードショップ、ミュージシャンとのコラボレーショングッズ(T シャツ)の制作
    地元織物会社とのコラボレーショングッス(ストール)の制作
    ギャラリー「ピノチカ」とのコラボレーショングッス(ストール、T シャツ、スニーカー)の制作
    ※あくまでも受け身的ではなく自己発信型スタイルで!!

    ■ これから目指す方向性

    ~紆余曲折あり、多大な犠牲の末に本来やりたかったことに辿り着く~
    ・ 職人→ 感性を生かすクリエイターとしてモノづくり。自分たちにしかできないことの探求(クリエイションマインド重視)
    ・ 自分自身の感覚(オリジナリティ)とクライアントの感性との協業を楽しむ
    ・ 現代のライフスタイルに合う本物のモノづくりをグローバルに発信していきたい
    ※ 「伝統技術は感性を生かすツールである!」この考えのもとに
    〈以上 大下倉和彦社長セミナー資料より〉

    2.社長の講演をお聞きして

    前述の社長のセミナー資料をみてもお分かりのように、これほどまでに激動の歴史を繰り返し、今なお挑戦し続けている京都100年企業が株式会社 高蔵である。

    赤字の部分は事業が破綻、それに近い危機に直面した出来事を示す。それに対し、青字の部分は第三者との縁をもって、事業のコラボレーションが実現した出来事を示す。

    全くの正反対の出来事が平成18年を境に起こっているのである。老舗の企業を訪問し、会長・社長にこれまでの継続の秘訣をお聞きすると、必ず残すべきものと変えるべきものの区分を明確の持っておられる。

    そのこと自体は企業によりその基準が異なり、企業の独自性・オリジナリティを形作るものであろう。そこでこの原則を株式会社 高蔵に適用すると、次のように考えられる。

    造り酒屋⇒製糸事業⇒ちりめん織物事業⇒染色事業と業種は変化しているが、その底流に流れる無から有を作り出す“ものづくり”の心は変わっていない。DNAと言っていい。

    更に大下倉社長曰く、
    残すべきものは事業家の家に生まれてきた「誇り」である。そこにキラリと光るオリジナリティを求め、可能性に果敢にチャレンジして、成し遂げるという心意気を持ち続けたいと自社のコア・コンピタンス(核となる強み)を語る。

    平成18年大下倉家として最大の危機の訪れとおっしゃっていた。そのとき土蔵を整理して出てきた先祖の肖像画が、大下倉社長に決意させたという。

    「伝統のものづくりを続ける」これにはもう一つの側面があると思われる。経営破綻により全てのつながりが切られた。何もかも、親戚・友人・取引先・お得意様・・・、全てが切れたとき最後に残ったのは・・・ 自分自身であったに違いない。

    自分という人間が丸裸にされ、素直な心で自分を見たとき、本当の自分の強み・すべきこと・社会から求められていることが見えた。

    染色事業の再出発であった。このときの決意・本気度が大下倉社長の暗い運気を吹き飛ばした。次々とコラボ事業が成立した。自分の作品を世間が評価し始めたのである。独創的なデザイン、製法、感性に挽きつけられる方々が、事業の提携を申込んできた。

    私自身、林も東京の展示会におじゃました。物体の本質を捕らえる目、壮大な宇宙感、エネルギーがほとばしるキャンパス、世界に一セットしかない染色生地を使ったコンバースのスニーカー等々を見させていただき、感銘を受けた。

    今回訪問でお伺いした工場には所狭しと作品の数々が陳列されていた。参加者の方々も作品に魅入られたようで、結構お買い上げされていた。

    東京ではギャラリー開催のオープニングパーティも開かれており、私も参加させていただいた。そこに集まられたのは、古いご友人、再起をかけたときに助けていただいた方々が駆けつけていらっしゃった。大下倉社長の人柄、作品にほれ込んで、家族同様のお付き合いをされているという。

    再起をかけて一軒一軒お店に飛込み営業をされていた頃に知り合った方もいらっしゃったようだ。初めて売れた手ぬぐい50枚の売上は自分だけの売上とは言えない。皆さんのおかげだということをかみ締められたことだろう。

    何よりも嬉しかったことは、夜逃げ同然で追い出された地元の業者からの注文もあったこと。まだ故郷の方々は見捨てていなかったのだ。

    その後、親戚や高校・大学の剣道部に先輩に助けられ、自宅も工場も戻ったとのこと。
    地元に戻って制作を続けた。ますますパワーをもらって制作に打ち込めたことだろう。
    これからのことも語っていただいた。

    本当に自分のやりたかったことにたどり着きましたと社長は言う。
    自分とお客様とのぶつかり合う感性と感性、それが楽しめるまでになった。
    これからは市場も国内にとどまらず、グローバルに展開したいという。
    培った伝統の技をものづくりのDNAから生まれた感性を生かすツールにしたいという。

    将来の人財育成についてもこのように語られた。
    我々の経営目標は染色をベースとしたモノづくりで、人々に感動を与えたい、である。
    そこで人々に感動を与えられる人間性・人間力を自分自身に身に付けたい。

    すべては自身を磨くことから始まる。ビジネスの場を修行の場と捉えることが大事。その上で美しいものを素直に美しいと感じることの出来るスタッフと働きたい。お互いが高めあうような関係が理想である。

    そうした組織を築き、この工場から、世の中に感動を生む作品を送り出したい。お客様同士が仲間になり、語り合うことで当社を中心としたコミュニティを形成したい。最後に、周りの方々に本当にお世話になった。

    今すぐにはご恩返しは出来ないが、少しずつ事業を拡大し、恩返しできるほどには事業を大きくしたい、と締められた。

    しかし参加者の方から、支援された方は自分に恩返ししてもらうより、このすばらしい色をだす染色技術を使い、作品をいつまでも作り続けてほしいと思われるのではという声もあった。

    3.参加者の方々の声

    ・ なんでもトライすることの大切さ、その心がけの大切さを学びました。
    ・ 自分の売り物づくりを考えてみます。
    ・ 人との出会い・和、個性の大切さ、精神の美しさを保ちたい。
    ・ 一度全ての関係(つながり)を切ってみて新たに作り上げればどうなるかというシミュレーションを立ててみる
    ・ 時代によって業種業態を変えながらも、起業家として生き抜くことを大下倉家の“槍抜く”精神で伝えてきたのではないかと考えました。
    (創業時先祖より伝わる槍が居間に飾ってあり、それだけは心の支えとしてずっと守ってきたとお聞きしたことを受けて)

    4.本研究会主宰講師林 勇作の気づき

    老舗にはそれぞれの歴史があり、今回の株式会社 高蔵のように2度、3度の廃業を繰り返し今に至る企業もある。

    しかし私は思う。過去の失敗の反省を踏まえ、これからの事業に信念をもって、本気モードで立ち向かえば、先祖からも、また回りからも応援してもらえる。

    不思議と縁が縁を呼び、本当に必要な人脈が揃い、やりたいことが出来る環境が整う。しかしこのとき自信過剰にならず、常に先祖や周りの方々への感謝を忘れてはならない。この世の中自分ひとりでは所詮生きられないのだから。

    自分らしく生きることで、人々に喜び・感動が与えられるとしたらこれほどすばらしい人生はないと思う。

     

     

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    この記事を書いた人
    京都100年企業
    林 勇作

    1965年8月28日生まれ
    大阪市出身

    今後の日本の中小企業の手本となる魅力ある強い企業体の創出に最大限の力を注ぎます。会員様と共に永続的な成長と発展を図り、会員様と共に幸せな人生を実現します。

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