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    みなとや幽霊子育飴本舗は日本一歴史がある飴屋です。
    約450年の歴史を持ち、現在20代目ご当主がお店を切盛りしています。原材料は麦芽糖とザラメ糖のみを使用し、それらだけを溶かし、容器に流しこみ固めて作っています。今回の研究会では、こんなに素朴な味の飴のみで450年間続いているみなとや幽霊子育飴本舗でお話を伺いました。

    みなとやとは、元々初代の木戸宗助さんが福井の米屋を営んでいて、京都に移ったのをきっかけに水飴を販売するようになったのがその由来です。

    幽霊子育飴になったのは、幽霊飴という昔話が実際あったと言われる飴屋だからです。

    お店構えはいたって素朴で飾り気もなく本当に昔ながらの飴屋そのままの形で維持しており、20代目の当主やその親族が毎日変わらずに飴を売っています。場所は六波羅蜜寺の少し北の方に進んだところにある轆轤町に位置していて、幽霊のストーリーにぴったりな場所です。

    この麦飴は昔と変わらぬ味ですが、数々の閉店の危機を乗り越えながら続けてきました。
    しかし、4年前に飴を作ってくれていた職人さんが怪我をされ、その退職で一度お店を閉めようとした時期がありました。その時は偶然にもこの飴を愛してくれたお客さんが職人を見つけてくれて、危機を逃れ今日に至っています。

    有名な幽霊飴に関するストーリーはお店に行かずともだれでも知っている話ですが、今回は直接に行かなければ聞けない裏話をします。

    以前も話したように100年以上の老舗であることを証明するためには何かの証拠が要りますが、ここではまさにストーリーの元となる木の銭箱が約450年以上のものであることが判明し、老舗として認定されたそうです。

    この飴は水木しげるさんが生前、贔屓にされていたのですが、幽霊飴のストーリーに感動して漫画「ゲゲゲの鬼太郎(当時墓場の鬼太郎)」を思いついたとのことです。そのころから毎年50回も来店され飴を買って行くようになったそうです。このように日本昔話のストーリーにちなんだ飴が世に愛され続けて450年の歴史を持つこと、これが京都の老舗です。

    素朴な一つの味を守り続けることは難しく、しかもいい時だけでなく悪い時もある中で、やり続ける意味に疑問を持たず、続けることはそれほど簡単にはできません。

    今回お話を聞きながら、続ける秘訣について伺えたらと思っておりました。
    お店は、家族で構成された幽霊飴総会で支え続けています。長く今の形を守り続けながら、今の形に疑問を持ち、親族で会議を行い、議論をしながら、新しい提案も取り入れながら、お店を守っています。時には喧嘩をしながら、意見をぶつけ合いながら変化への意味を問いますが、最後には、変わらないという選択になることも多いと言います。

    この京都100企業研究会では数多くの老舗を訪問していますが、変わらない選択肢がもっとも最善の選択肢であることはなく、みな何らかの形で変わりながら続けることを選択せざるを得ないのがほとんどです。しかし、ここでは現状を維持するという選択について少しでもヒントになることを探りたいと思います。

    お店の勤務形態は7日間を親族で順番制にして店番をします。また、助けられたご近所との縁を大事にするために近所の商店街と一緒にコミュニティを形成した活動も行っており、お祭りや数々のイベントを通じて町内の活性化にも努めています。今では、新しくできたゲストハウスやホテルなどからも町内会の参加に申し込みがあり、少しずつ活性化の活動の成果が現れるようになったといいます。

    いつしか、海外でもこのストーリーを聞きつけた観光客からも口コミで広がり、お店で飴を直接買ってくれるようになりました。地域の学生の参加にも快く応じたことから、漫画学部のある精華大の学生が無償で幽霊飴の漫画を作ってくださいました。ストーリーとお店の謙虚さが一つの味となって、小さいけど少しずつ人々の心に伝わっています。

    このようなお話はお店の売上にも直接影響しており、店舗の小売売上以外に、うちの飴とのコラボレーションをしたいと、材料の提供を求める企業が増えており、その卸売上が小売とほぼ同じくらいになっていることをみると分かります。飴のストーリーに感動し、綿菓子屋さんでうちの飴を粉にして振りかけることで、愛の綿菓子として売り出したお店もあります。

    今回研究会に参加されたメンバーからも色々なご意見と提案が出ました。それは人が助けたくなるような気持ちを起こさせる、ストーリーだけでなくみなとやの持ち味を守り続ける親族への尊敬の気持ちからでしょう。謙虚に生きる生き方の見本として紹介したいです。また、自分達ではなく周りの愛情と関心によって、続けてられていることに価値があると考えさせられました。

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    この記事を書いた人
    京都100年企業
    林 勇作

    1965年8月28日生まれ
    大阪市出身

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